<IMG src="file:///C:/Documents and Settings/tatsuo/Application Data/IBM/Homepage Builder Version 8/tmp/logo1.gif" width="547" height="51" border="0" alt="「南インドは熱く燃えていた!」 ">
−めくるめく5000年の悠久の歴史の
インド大陸、
 2008年1月〜2月南インド旅行奮闘始末記−

世話役:竹中 征夫

◆序章◆


 2月10日に11日間に及ぶ南インド旅行から帰国して、はや2週間にもなるというのに、まだ頭がボーとしている。昨年の1月に「衝撃と感動の北インド旅行」に参加し、帰国した直後、今回の南インド旅行のサブ世話役を務めたSさんと、「北インドすごかったね!」、「うん、南インドはどうなのかね!」、「南インドも行ってみるか!?」、「よし、行こう!」などと会話を交わした後、トントン拍子に、この「南インド旅行」は、決まった。
そして、どうせ行くならLSCの皆さんにも声をかけて参加者を募ろう、というわけで、会報誌やH.N.誌などで参加を呼びかけたところ、26名の参加希望者がおられた。しかし先着の17名で締切とさせて戴き、万が一、この17名の中で、不参加者が出た場合、9名の方に声をかけさせていただくということで理解を願った。

 結局、これら17名の方々は、1名も欠けることなく、今年1月31日、ブルブル震えながら、南国、南インドに向けて、成田空港と関西国際空港から飛び立った。(愛知県在住のHさんは、関西空港から飛び立っていただき、中継地点のマレーシア・KL空港で落ち合った。) この出発日の1月31日までに、これまで2回に亘って、「LSC南インド旅行説明会」を実施し、企画者・世話役の私がどのような旅を思い描いているか詳細に説明した。昨年の北インド旅行に参加した時の現地インド人、ガイドのアローラさんが勤務する会社の日本支店が東京・五反田にあることを同氏が教えてくれたので、さっそく、その日本支店を訪問した。思えば、それが昨年の2月〜3月頃で、この南インド旅行計画のスタートとなった。
夕日がおちるコモリン岬 インド最南端

 訪問してみると、その日本支店は、これまでにも日本の芸能人などのインド旅行もアレンジしたことがあるというので、私たちが考えている南インド旅行について相談に乗ってもらうことにした。日本人社員もインド人支社長も大変親切で、懇切丁寧に説明してくれた。相談する過程で、いくつかの案がまとまったので、それらについてサブ世話役のSさんと話し合い、最終案を決め、旅行ルート、内容、日数などを早めに、てきぱきと決定した。近年、デリーなどを中心とした北インド旅行をされる日本人は、増えてきているが、南インドまで足を延ばす日本人旅行者は、ほとんどいないことも承知していた。それでも私の心深くで、今まだ、頭も、目も、耳も、身体そのものがしっかり動いているうちに、この「南インド旅行」を実行したい、という切迫感が私を後押ししてくれた。
 
 先着の17名の方々は、早々に決まった。そして、相談に乗ってくれたこの日本支店が私たちの南インド旅行計画を引き受けて下さることになり、最終的に費用総額、26.5万円で決着した。(食事時の飲料代と各種チップだけは、個人払い) その後、世間では、燃油チャージアップや、現地インドへの爆発的な外資参入によるインド・ブームでホテル代高騰などが起こり、この日本支店からも費用アップ要請が続いたが、私としてはそれら要請を受け入れるわけにはいかなかった。しかし、今、同じ旅行ルート、内容、日数で、26.5万円でやれといわれても、それで抑える自信は全くない。
「海岸寺院」(世界遺産)の前で

 因みに、これら17名の参加者の内容は、下記の通り。

1) 8名が、すでに昨年のLSC北インド旅行の経験者。また、愛知県のHさんは、ご自分ですでに北インド旅行をされておられるので、インド旅行経験者は、9名。残り8名の方が、インド旅行初体験ということになる。(半分弱)

2) 8名の方が、千葉県船橋市在住。浦安市と市川市の方が、1名づつ。従って、  千葉県からの参加者合計:10名。(約60%) (千葉県の方は、好奇心旺盛なの  か?!) 横浜市3名。鹿島市2名。東京都1名。愛知県1名。

3) ご夫婦参加が、3組6名。単身参加者が、11名。
4) 男性参加者が、9名。 女性が8名。(半分ずつというところか)
5) 年齢は、70代参加者が、11名。(驚き! もう日本の70代の方を年寄りと呼んではいけない!) 60代参加者が、6名。(このうち、四捨五入すると70代になるのが、3名!)

1月31日の出発日に成田空港に集合した16名のうち、やはり、インド旅行初参加の8名の方は、心なしか、多少、顔もひきつっていて、不安げであったのが印象的であった。


◆南インド旅行顛末◆

 今回、私たちが計画した南インド旅行とは、チェンナイ→カンチープラム→マハーパリプラム→チェンナイ→マドウライ→カニャクマリ(コモリン岬)→トリバンドラム→アレッピー →コーチン(コチ)→バンガロール(ベンガロール)という行程を11日間で回り、名所旧跡、遺跡、世界遺産、博物館、古代寺院、宮殿等を見学し、バックウオータークルーズを楽しみ、インド人一般家庭を訪問し、インド映画やカタガリダンスショーを鑑賞し、さらに、IT産業のメッカとして有名なバンガロール訪問と、内容的には盛りだくさんとなった。

旅で出会った目の大きな女児
 それらの行程を、まず、南インドの中心都市、チェンナイに上陸した後、長大なバス専用車、列車、国内航空機の3つの足を使って、何千キロにも及ぶ南インドの旅を回ることになった。南インド周辺の地図を見ていただければわかるが、今回のこの旅は、タミルナードウ州(人口:6200万人)、ケーララ州(人口:3200万人)、カルナータカ州(人口:5300万人)の3つの州を経由し、ベンガル湾、アラビア海、インド洋に囲まれた地域への旅である。気候は、おおむね、晴れていて暖かく、湿度が低いので汗が出ない。それでも、30度Cを超えた日が、2〜3日あった。専用車と列車が中心であった。なにしろ、ある時は、数時間の夜行列車の固い寝台車に揺られ、そして5時間も専用車で揺られ、ベンガル湾を左にみて、インド洋側に辿りつき、あこがれのコモリン岬にて、夕日と朝日をかいまみて、今度は、また、えんえんと専用車による、アラビア海を左に見ての旅であった。つまり、チェンナイから気の遠くなるようなこの巨大なインド大陸を一路, 南下して、ホッとしたら、今度は北上である。世話役として、私が本当に気になったのは、この過酷な旅の状況・環境の中での参加者の「健康」である。それこそ、昼間は専用車を降りた後は、徒歩で、いろいろな古代寺院、塔門、宮殿、遺跡を回って行き、混乱と雑踏の中を、暑い太陽に照らされながら進み、毎日、慣れない「カレー料理」の連続である。
2回の説明会で、「大変なところに行くのですよ!」と覚悟をうながしてあるとはいえ、やはり、実際のインドの大地は、すさまじい。2回ほど食べた「中華料理」とて、カレーの味がしてくる。これは幻想か!

バックウォータクルーズ カタカリダンスショウの化粧
ティープ・スルタン宮殿に隣接するヒンズー寺院

 どの古代寺院や遺跡や宮殿も、基本的に「石」と「レンガ」であるから現代まで残存してきた。一般的に、公共心に欠けたインド人がメンテ、補修修理をするわけがない。ヒンズー教、ジャイナ教、バラモン教、シバ神等などと、いっても、呪物崇拝、アニミズム、祖先崇拝、偶像崇拝、汎神論哲学が基本であるから「人間の道」などの教義は出てこない。私ども、一般の外国人にとって、これらわけのわからない多くの宗教話で、頭が混乱し、この暑さで、この食事で(美味かったが)、長時間の専用車の揺れである。私は、てっきり、この旅の参加者の多数を占める70代の方々は、倒れているかと思いきや、「な、なんと、彼らは専用車の中では、車窓から見えるどうでもいい景色のところでは、グッスリ寝ておられるのである!」  
それでも、現地の慣れない食事と水、ジュース、長時間の専用車の揺れ、ホテル側の対応不足によるイライラ、暑さ等など要因はいろいろが、体調を崩された方が出た。専用車を停車させ、2名は病院で診てもらい、点滴その他の手当でまもなく回復した。
私も、鼻水が出て、気分が悪くなったが、翌朝、回復した。好運にも、2月11日には、参加者17名元気に、帰国できた。
マドゥライのミーナクシー寺院 高さ数十メートルもある塔門

◆南インド旅行ホームページ◆


 この旅の直前に、参加者のAさんに、この南インド旅行のホームページ作成を依頼してあった。帰国後、先日、「まだ作成途中のホームページ試作品」を、Aさんから見せて戴いた。素晴らしい出来栄えであった。それがここに完成してLSC会員へのご案内となった。筆舌に尽くしがたい壮麗・壮大な南インドの古代寺院や宮殿や遺跡などの素晴らしさを堪能していただきたい。

◆南インド旅行いろいろ経験・体験談・小話◆

 実は、旅の後半に入って、あるホテルのエレベーターの中に、定員6名のところ、倍の12名の我が参加者が乗り込み、エレベーターが動かなくなり、閉じ込められ、ついにエレベーターの蛍光灯も消え、真っ暗闇!全員、おそろしい恐怖に襲われ、中の電話の近くにいたKさんが電話を取り上げ 「 I speak Germany only, help! 」とか、なんとか言ったが返答なし、さらばと、一番遠いところにいた私に「竹中さん電話に出て!」というわけで私が出て、ほどなく、全員救出された。救出された時、私たちの前に、調理師が最初に手を差し伸べたのには驚いた。それから、あとになって、なぜ、あの時、Kさんは、「オレは、ドイツ語を話す。助けてくれ!」と言ったのか、あれは、日本語しか出来ないと言いたかったのではないか、と思い1人吹きだした。あれは恐怖でした。

 さらば、インドよ、楽しかった南インドよ、ありがとう。また、いつの日か会える日を楽しみに!


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その1  その2  その3

edit aida
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